2月7-15日、カンボジアで農村開発や地雷被災者支援活動の現場を見てきました。短い期間でしたが、旅の間に気づいたことを、ベトナムと比較しながらご紹介します。
カンボジア社会は、長年の内戦、特にクメール・ルージュによる200万人ともいわれる虐殺によって深く傷つきました。トゥオル・スレンという強制収容所跡を見学して感じたショックは、ホーチミン市の戦争証跡博物館で感じたのと同じくらい強烈でした。それだけに、対米戦争で傷ついたベトナムが、その後カンボジアに軍事侵攻した歴史の皮肉を痛感しました。
また、数百万個といわれる地雷や不発弾を処理する団体や、地雷被災者に義足をつくる団体を見学したときは、彼らの活発な活動に感心すると同時に、地雷や不発弾がたくさん残っているはずのベトナムで、あまりそうした活動を聞かないのが不思議でした。いつか調べたいものです。
目に見える傷跡以上に深刻なのは、人々の心に残る虐殺や内戦の傷跡です。カンボジアは、内戦で家族や地域社会、国家そのものが引き裂かれました。ベトナムでも、南北に分かれてたたかった傷跡が、時折顔をのぞかせます。ただ、独裁とはいえベトナムには強力な政府があるのに、カンボジアは依然、政府らしい政府がない、という印象を持ちました(実際、昨年夏に総選挙がおこなわれたのに、与野党の対立で、2月現在でまだ内閣が成立していないそうです)。
政府の「不在」と関連すると思われるのが、道路や橋、空港などインフラ整備の遅れでした。特に、アンコール・ワットで有名な観光都市シエムリアップに至る国道が、悪路のあまり、乗っていたミニ・バスがパンクしたのには、さすがにビックリしました。
また、農村開発プロジェクトの見学で、シエムリアップからわずか6、70kmの村に行ったときのこと。乗っていたオートバイが故障して、民家で立ち往生しました。同行したスタッフは「この村には中古のオートバイが1台しかない。電話は20キロ先」と、困りはてていました。
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その一方で、都市の物価はベトナムに負けないどころか、飲食料金やホテル代、交通費などは、5割方高いようです。電気もない村に、テレビ・アンテナが林立するさまは、ベトナムと変わりありません。市場経済がベトナムより一層いびつな形で浸透しているようです。
カンボジアには、内戦からの復興を機に、外国から多くの市民団体がはいって、自由に活動しています。外国NGOの影響力はかなり大きいようです。今号の安藤さんの記事にもあるように、外国からのNGOを(もちろん地元のNGOも)管理しようという傾向のつよいベトナムとは、対照的といえます。
では、カンボジアの方が自由な社会なのかというと、そうとも言いきれません。UNTAC(国連カンボジア暫定行政機構)が去って以来、形のうえでは民主的選挙がおこなわれていますが、地元の人は「誰に投票しても結果は同じ。CPP(カンボジア人民党=フンセン派)の勝利さ」とささやいています。都市のスラムから田舎の村まで、国中いたるところにフンセン派やラナリット派、サムレンシー派の看板が林立しているのを見ると、むなしささえ覚えます。
一度行っただけで、カンボジアが分かったとはいえません。バイクで農村に連れていってくれたNGOスタッフが、「ここは貧しい。本当に貧しい。でも、ずいぶん良くなった。ずいぶん良くなったよ」と繰り返しつぶやくのを聞くと、またぜひ、カンボジアを訪れたくなります。また一つ、気になる国が増えました。
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