No.27
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発行者:ジャパ・ベトナム事務局
発行日:2004年 4月15日 |
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しの みどり |
私たちの身の回りにたくさんある楽器には、いつごろ、どこで、あるいは誰がこの楽器を考案したのか、大体歴史のはっきりしているものがほとんどのような気がする。ダン・バウに関しても、私はごく自然にこの楽器の起源を知りたくなっていろいろ調べたが、ベトナム独自の楽器で、千年の歴史のある古い楽器だということしかわからなかった。ユネスコの名誉会員でもあられる、アジアの音楽に関しては世界的に有名なチャン・ヴァン・ケー教授の下で研究していたときに、教授から、「ダン・バウの起源に関しては口伝による物語しかない。それも、人や地方によっていくつかの物語があるようだが、これが一般的に伝えられているものだ」と、私にも口伝されたものを皆様にお伝えする。 -昔、昔、チュン・ヴィエンと言う人がいた。侵略軍を討つために出かけなければならなかった時、彼は妻に『もし、賊軍が来たら、お母さんを連れて田舎へ帰りなさい』と言い残して出かけた。そうこうしているうち、ついにその日が来た。彼女は夫に言われたとおりに義母を連れて田舎へ帰ることにした。途中、ある村を通りかかった。その村では毎年一度、神に人間の眼球を供える習慣があった。村人たちは自分たちの目を奉納したくないので、その日に偶然よその村から女性が自分たちの村に入ってきたら、その人の眼球を神へ奉納することにしてあった。 そこで、母子がこの村を通りかかっているのを見かけると、村人たちは母子に食事をもてなしてからこの村の習俗を知らせた。その結果、母親の両眼を神に奉納しなければならなくなったが、嫁はそれではあまりに気の毒だと思って、代わりに自分の眼球を奉納することにした。それ以来、嫁は眼が見えなくなり盲人になった。 田舎への道は遠く、途中で食べるものもなくなってしまった。義母も病気になり、肉がないと義母が死んでしまうと思って、嫁は自分の体の肉を切り取って料理を作り、義母に食べさせた。それを見て感動した天国の仙人が、嫁に一弦の楽器を与えた。彼女はその楽器を弾きながら人々に恵みを乞い、義母を世話していた。 |
戦争が終わり、チュン・ヴィエンは母親と嫁を探してあちこちを回った。とあるとき、人づてに『母を世話するために一弦琴を弾きながら乞食をしている女の人がいる』と聞き、自分の妻のことではないかと思い、探した挙句、ある市場でやっと再会できた。その楽器のおかげで夫婦は再会できたのである。しかし、そのとき妻の目は見えず、悲しさのあまり泣いて泣いて、涙が涸れたあとに今度は目から血が流れて、それも涸れ果てたころ、彼女の目は自然に明るくなってきた。こんな不思議なことは天国の仙人-神-のおかげだと言われた。それ以来、一弦琴(ダン・バウ)は誰の考案でもない、神からの授かり物だと言い伝えられている-
因みに、チャン・ヴァン・ケー教授によれば、「ベトナムの古代歴史を調べてみても、どんな書籍・文献にも一弦琴(ダン・バウ)について述べられたものは見つからない」ということである。こういうことからも、ダン・バウは庶民の間にほとんど自然的に発生した大衆楽器らしい。歴史家や考古学者の調査・研究によれば、ダン・バウは李朝(11世紀)の時代にはベトナムに存在していたと言われている。しかし、史実にもっと明確に記されたのは、18世紀の博物学者として有名なレ・クイ・ドンの『見聞小録』で、陳朝(13~14世紀)の時代にベトナムに入国した中国人の言葉として、「ベトナムには一弦の楽器がある」と書かれているということである。現在まで、歴史書の中でダン・バウに言及したのはこれだけである。それで、一般的にはダン・バウは遅くとも13~14世紀には存在していた楽器ということになっているが、上述のように11世紀にすでに存在していたことも否定できない。 |
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